『チャネルコックの朝に』という作品を知っているでしょうか。
劇作家、バランコス・アブリルによって執筆されたこの作品は、彼が得意とした「人物に対するリアリティのある表現」を一切捨て去って描かれており、正しく賛否両論な怪作です。少し前には映画化もされ、つい最近では某俳優がラジオ番組にて、本作と大人気漫画とを比較して語ったことで話題となったことは記憶に新しいかと思います。
嘘です。
『チャネルコックの朝に』(以下『チャネ朝』)なんて小説は存在しません。
映画などあるわけがありません。
当然ラジオ番組で語られたりもしていません。
これは私が適当にネットサーフィンをしながら本棚の背表紙を眺めて考えた存在しない作品です。
しかしながら、もしこの作品を見た人がいたら、どんな感想を持つのでしょう。
そう思った私は友人たちに
「存在しない作品を読んだ感想を教えてほしい」
と声をかけました。
友人たちはわけを話すと、快く引き受けてくれ、参加者が1人2人と増えていき、
最終的に計6人になりました。
ありがたい限りです。
そういうわけで集まった感想の数々が以下になります。『チャネ朝』の感想、見ていきましょう。
『チャネルコックの朝に』感想
まずは感覚的な感想から
どうやら『チャネ朝』は青春ジュブナイルであり、最後は残酷な展開らしい。
個人的にジュブナイルは案外バットエンドというか、報われないラストの作品も珍しくないイメージなので『チャネ朝』もそういった作品なのかもしれませんね。
また、夢が作品内で関わってくるようです。頻繁に夢と現実を行き来するのか、夢から覚めるために奔走するのか、はたまた夢落ち展開なのか…
次は個人ブログの感想記事風なこちら
数年前に流行した小説を当時の私は流行りに乗りたくないという斜な態度で買わなかった。それが最近になって文庫化されたからか私が大人になったからかその物語を手に取ることになった。
物語はドイツののどかな農村部で起こる。少年ウェイバーはこの世界に楽しみは無いと達観したように毎日を過ごしていた。何もない村で何もない日々、そんな毎日はある夫妻の引っ越しで変わることになった。その夫妻にはあるうわさがあってその噂を信じた村人達は夫妻を冷ややかに迎え入れることとなった。ただの引っ越し、そう思っていたウェイバーだったがたまたま夫妻のことを知ることとなり考え方が変わる。村人と夫妻の間のひずみに子供ながらに奔走するウェイバー。そこには伝わらないもどかしさと誰も見てくれない葛藤があり、今まですべてを達観していたツマラナイと思っていた世界はこうも生きるのがつらくもどかしいと感じた。あきらめて村の大人と一緒になるのか、それとも必死で抗うのか。それを越えたとき、この村で迎える朝は一体どんなだろうか。
この物語を読み終えたとき、私は大人になってしまったのだなと感じた。もっと早くこの物語に出会えていれば大人にならなかったのかもしれない。それでも私はこの大人になるという選択
をした以上、大人として必死に生きていこうと思う。少年には戻れずともツマラナイ存在にならないという選択はとれるのだから。
彼、ウェイバー君がこの物語の主人公みたいです。
少し斜に構えたキャラクターのようですが、先ほどの感想にあった「夢から現実に移るシーン」が物理的に目を覚ますという意味ではなく、自身が感じていた現実を捉を「夢」と表現していたと考えることが出来るかもしれない。
出来ないかも知れない。
続いてはこちら
仕事帰りのブックオフ100円コーナーに置いてあった小説。なんとなくジャケ買いをしたものの積んでいたが読んでみたら面白かったのでその雑感。
「チャネルコックの朝に」で出てきたキャラの中でも、悪役のスピンゲルドというキャラがとりわけ好き。主人公の婚約者を殺した上で各地を逃亡してまわり、最期は朝焼けの中、聖堂内で主人公と刺し違え、命を落とすという壮絶なものだった。
物語としてはありきたりではあるものの、主人公と似た境遇で育ち、一度の選択によって人生が大きく狂ってしまった人間の悲哀がにじみ出てて個人的にはかなり気に入っている。
クライマックスでは怒りから人道を外す手段を選んだ主人公、逃亡の中から過去の過ちに気づき許しを乞う悪役の構図が印象に残っている。
文庫本一冊にまとまるサイズの短編ながらも、作者の趣味が色濃く出ていた。個人的には好きだが、大衆受けするものでもないとは理解できる。
ウェイバー君死ぬのか・・・。
このスピンゲルドが夫妻の噂を流したんですかね。婚約者を殺められたところを見るに、ウェイバー君の奔走は大きな陰謀に関わってしまったのかもしれない。些細な行動から問題に巻き込まれてしまうのはかなり「らしい」展開です。
お次はこちら
「君を生かさねばならない理由がある、だから生かすのだ」。ローンワットの洞窟で、旅人ナザウが師の仇敵に毅然として答えたこの言葉は、本作の登場人物を端的に表したものである。梨売りのレイツァも、シシバ将軍も、水汲みも、地下街の物乞いも、皆それぞれの思想を持ち得ていながらも、そのだれもが自身の行動の理由に従っているのだ。
自覚的に捉え、そして行動に移すそのあり方は、一見表面上は理想的に見える。しかしその実情は極めて歪だ。だれもが筋書きをなぞるように行動をし、そして疑いがない。言ってしまえば登場人物にリアリティがなく、本作が稚拙だと言われる所以である。
だが、本作がただの拙作と評価されないのは、登場人物以外の世界観がきめ細かに描かれているからである。フォートーン国に根付く政治構造からその歴史、文化まで描ききっている本作は、その世界への没入感は他の追随を許すものではない。著者のバランコス・アブリルは決して人物の造形が下手と言う訳ではないし、むしろ得意とするところだろうそれをふまえて、本作の世界観構成の完成度は別格の出来である。
であるならば、バランコスはあえてこの人物像をもって作品を描いたと考えるのが自然である。なぜ彼はこの歪な世界を描いたのか。
その理由は当時のバランコスの精神状態に見ることが出来る。執筆当初、貴族階級である彼は家の政略結婚が近づいていた。彼にとってこれは多大なストレスであったようで、彼の日記や友人への手紙に「まるで人生が縛られているようだ。なぜ世界は各々の思い通りならないのか」と繰り返しこぼしており、その苦悩が窺える。
彼のこの苦しみが、本作の世界観には顕著に表れている。先述のように、登場人物たちは皆自身の行動に疑いを持たない。悩みを持たず、即断即決で立ち回る。にもかかわらずその原動力は感情的な物であったり、思慮的な物であったりと綿密に設定されており、本作のちぐはぐな印象を形作っている。まるで登場人物たちは自身が物語のキャラクターであることを自覚しているかのようだ。この先の展開をわかっているからこそ迷わないし、それが己の役割だと認知している。
バランコスは物語のキャラクターの創作者の思い通りに動く、ある意味都合の良い存在だという事実を、自身の境遇に重ねたのではないだろうか。政略結婚をするときが来るのはずっと前からわかっていたのに、それでも納得できない自分が、『チャネルコックの朝に』のキャラクターのように、ためらいなく受け入れられたら良いのに、という嘆きを感じずにはいられない。
作品の内容と同時に作者の人となりにも触れた感想。
バランコス・アブリル氏の悩みを見るに、どうやら『チャネ朝』は割と昔の作品みたいですね。
また、序盤で語られた旅人のザナウが師の仇としているのを見るに、スピンゲルドがウェイバーの婚約者だけで無く、その他の人物をも手をかけていたのでしょう。
そして同時にスピンゲルドを生かす必要があるとの発言から、悪の立場をとるスピンゲルドが一口に無欠の悪だと断定できない事情があるのかもしれません。
続いて全体的な感想を
SFだったのか。
ウェイバーと村の民衆は完全に敵対関係にまで発展してしまうようです。ウェイバーは村の少年。政治的に攻めれば立つ瀬がなかったでしょうし、なかなかスピンゲルドも敏腕ですね。子供はあくまで子供という現在的な側面を突きつけてきている気がします。
また、フェルネクスという単語が出てきたが、これは著者名ですかね?そういえば一つ前の感想に著者は貴族階級だったとある。もしかしたらミドルネーム的な物があったのかもしれない。フェルネクス=バランコス・アブリル、みたいな。
加えて登場人物が彼らの行動理念に異を唱えない、という点でも、一つ前の感想にある物語のキャラクターとしての話しとシンクロしています。
もう一つ一つ、同一人物の感想ですが、
YouTubeもやっているみたいです。
かなり昔の作品のようだが、かなり精力的に活動している様子。きっと日本公式が運営していて、シャーロキアンのチャネ朝版のような熱心な人がいるんでしょうね。
次がいよいよ最後の感想、見てみましょう。
まさかの盲点。そもそもタイトル間違ってた。
確かに海外の作品を翻訳している以上、中黒をどうするかはやっかいな部分はあるのでしょうね。ここまで間違った表記をしていたことを許してほしいです。
以上が今回のすべての感想になります。
お疲れ様でした。
感想を簡単にまとめると、
- 主人公ウェイバーが壮大な陰謀に巻き込まれるSF青春ジュブナイル
- 敵であるスピンゲルド側にも事情があり、一概に悪だと言い切れない
- 著者の苦悩が作品に表れており、登場人物の姿に読者自身を顧みることの出来る作品
- 作品自体は比較的古めのものであるが、現在も活発に動きを見せる
- 『チャネ・ルコックの朝に』
といった感じでしょうか。
想像以上にそれっぽい内容になりました。
突発的なものであったがちゃんとした作品像が見えるほどになり、とても満足です。
ありがたいことに、感想を書いている間、参加してくれた友人は楽しいと言ってくれたので、こちらとしてもうれしい限り。
改めて、唐突な発案に参加してしてくれた友人たちに感謝を。
実は初めは集まった感想をもとに私自身が本文を作ろうと思っていたのですが、自分の文才ではどうにも出来きませんでした。悔しいね。
次があるか分かりませんが、とりあえず来るやもしれない第二回に備え、文章力を鍛えようと思います。