賽の河原な話

 

臨終の音

 

洗濯機を回していたら、中から「チーン」と音がした。

慌てて中を覗き込んだ。中身は我関せずといった面持ちでぐるぐると回転を続けていて、おかしなところは見当たらなかった。

 

洗濯機が止まった後、改めて中を確認してみた。

やっぱり異常は見当たらなかった。

入っていた洗濯物の中にも、そんな音が鳴るようなものは無かった。

 

現在もその洗濯機は問題なく動いている。

何が逝ったのか、分からないままだ。

 

ある日突然爆発しないことを祈る。

 

 

 

才能の開花

太った。

理由はバカほど食っているからである。

 

ダイエットにおいて最も重要なことはとにかく食事管理だそうだ。今の自分の身体を見ても、それは事実だと思う。

 

最近は一周回って、この食欲は才能な気がしてきた。以前、元プロスポーツ選手が現役辛かったことを聞かれ、食事の量を挙げていた話を思い出した。

身体作りの為には食べなければならないが、その人は体質的に少食で、とにかく苦しかったと言っていた。

 

そういう人もいると考えると、自分のこの止めどない食欲は、優れたものだと思えてくる。

今からスポーツを始めたら、何か大きな結果を得られるかも知れない。

 

そう思いながら、特に何もせずキーボードを叩いている。

 

えびせんうめー。

 

 

 

vs忍者

忍者めしを買った。

グミは普段あんまり買わないが、ボトル型でワゴン積みされているのに釣られてしまった。

 

忍者めしは好きだ。

名前がいい。味の方も酸味が聞いていて中々だ。

 

たまにならまた買ってもい

 

「きゅ」

 

きゅ?

 

なに今の音。

慌てて洗面所に走る。スマホのライトを向け、口の中を観察する。

ありがたい事に詰め物とかはないので、そういうものが取れるみたいなことはない。が、だとしたら今の音がよりエライことになっている可能性がある。

 

・・・とりあえず、問題、な、い? か?

見た感じは、大丈夫そうだと思う。たぶん。

 

歯のトラブルは本当に怖い。物理的な怖さはもちろん、値段も怖い。

特に大きな治療になると、シャレにならない値段になる。

 

最近、身体のマイナス点が増えているのを感じる。足の裏がやたら痛いし、腰も痛い。

不調になる前は、気にしたりもしていなかったのに。

よく聞く「大切なものは、失った時に初めて気づく」というのは本当らしい。

 

 

 

世界は残酷

Amazonの受け取りにコンビニへ行くと、駐車場の隅で猫二匹がわやくちゃになっていた。

相当揉めているらしく、段ボール箱を受け取って、コンビニを出た後でも掴み合っていた。

 

車に乗り込んだ時、先のコンビニから自分の後ろに並んでいたおっちゃんが出てくるのが見えた。

そして、響く唸り声に気づいたらしく、そちらの方は二、三歩近づいて行った。

 

ややあって、おっちゃんはポケットからスマホを取り出し、転げ回る彼らへと向けた。

そして、自身をスマホと猫の間に入れると、ピースをした。

どうやら自撮りしてるらしい。

 

人はいつだって無粋だった。

なんだかとても申し訳なくなった。

 

 

 

右ストレート

パペットマペットを見ていたら夜になった。

 

彼らの大ファンだと大手を振って歩けるほど詳しい訳ではないが、好きな芸人を聞かれたらパペットマペットと答える程度には好きだ。

テンダラーと答える時期もある。

 

彼らの大ファンだと大手を振って歩けるほど詳しい訳ではないが、好きな芸人を聞かれたらパペットマペットと答える程度には好きだ。

テンダラーと答える時期もある。

 

彼らのコントの中に「右ストレート」というものがある。

かなり短い作品であるが、だからこそスピード感のある面白さを感じられる。

「右ストレート」の中で注目したいのは、そのメタ的な視点だ。

思えば、自分の中で初めてメタ的な事柄を、あるいはメタ視点の面白さを感じたのは、このコントだったような気がする。

 

今やメタ的な視点を使った創作物は擦り倒され、ある種飛び道具的な、面白さの一スパイスとして消化されるきらいがある。

「あーはいはい、そういうのね」と言われてしまうような感じだ。

 

自分がこうして紹介している「右ストレート」についても、そう揶揄している人が当時いたのかもしれない。

それでも、自分にとっては右ストレートがメタ視点の原初であった。

そして、その時の面白さは自分の中に残り続けている。

 

自分もそういう感じの、残る面白さを出せる人間になりたい。

 

 

田んぼの死を見て、うちはサスケを思う

 

近所の田んぼが工業地帯になるらしい。

話自体は以前から進んでいたらしく、最終的な決断が最近になって下されたそうだ。

自分は米作りに携わっているわけではないし、その土地を売却した人の事情も知らない。故に、その事へ口出しするのはお門違いだ。

しかしながら、随分長い事日常の風景となっていたものが無くなるというのは、中々物悲しいものがある。

 

思えばこれまでの自分の生活は、その大部分が目の端に田んぼが映り込んでいたように思う。

小学生から高校生までは田んぼ道を通って通学していた。大学は都市部から幾らか外れた所に立地していたから、駅からキャンパスまで、田んぼ道をとろとろ歩いていた。

個人的に田んぼとの一番気持ちの良い体験は、何かを食べながらダラダラ歩く事だった気がする。

近くのコンビニやファストフード店で食べ物を買い、そのジャンクな味を楽しむ。その後の講義などの予定が何もない状態で、時間から解放されて食べるその味は、他の食事体験では代替できない。

 

自分のイチオシは、モスバーガーの期間限定バーガーだ。

モスバーガーの期間限定バーガーはやたらとソースが多い(自分調べ)。故に、食べるのには中々に苦労する。大きく口を開ける必要があるし、口の周りもベタベタになってしまう。当然、周囲の目は気になる。

しかし、田んぼ道で食べるモスバーガーは、そうした羞恥心から解放される。どれだけ口元を汚しても構わない。乾いた風。広がりきった空。どこどこ揺れながら走るトラクターを見ながら、心ゆくまでハンバーガーにかぶりつく。

 

あんな幸せなことはないのだ。

 

そんな田んぼが、なくなる。

 

先に述べたように、田んぼを風景として接してきた自分が、そのことを不平不満を説くのは烏滸がましい事だ。

 

それでも、やはり寂しい。

そこで生まれて、ただ過ごしただけなのに。なぜだか自分の内側が変わってしまうみたいな、違和感をもぞもぞと感じている。

ただ、そこに居ただけのやつにでも、この気持ちを覚える心くらいは許される、と思う。

 

そんな話を、都市部生まれ都市部育ちのシティボーイの友人に話した。

彼の応答はシンプルだった。

 

「いや大袈裟でしょw」

 

…そうか、大袈裟か。

まあ、田んぼに馴染みがない彼には、そう感じるのかも知れない。

 

…………。

……。

…。

 

繋がりがあるからこそ苦しいんだ!!

それを失うことがどんなもんか

お前なんかに…!!

 

 

 

 

 

 

kuketo中毒と骨折の話

 

 

 

クッキークリッカーがやめられない。

 

始めたのは、友人に釣られてDiscordの知らん牧場ゲームに手を出した事がきっかけだった。

「こういうゲーム結構好きやわ。似たようなのなんか知らん?」

「ならクッキークリッカーやればええ」

ならばやってみるかと始めたのが少し前。

 

気がつけば300000ビリオンのクッキーが焼かれている。ミリオンの上がビリオンなの、普通に知らなかった。ナルトのバリオンモードくらいしか知らなかった

ナルトは仙人モードが一番好きです。

 

クッキーを焼くだけのこのゲームが恐ろしいのは、デュアルディスプレイとの相性が良過ぎる所にあると思う。

片方のモニターでクッキーを焼きつつ、もう片方でYouTubeをながら見しても良し。Discordで友人と駄弁っても良し。格ゲーでキレても良し。

とりあえずで焼き始めてしまえるのが恐ろしい。

 

「とりあえず」

この文言は本当に強力な力を持っていると、最近は常々感じている。これが頭につくだけで、あらゆる物事は自動的に進行する気さえしてくる。

強制力を持つとも言っていい。

 

とりあえず資料はこのファイルに入れとけば良い。

とりあえず開幕はバックジャンプで良い。

とりあえずCを押して雄叫び上げとけば良い。

とりあえず序盤はマナ加速で良い。

 

「とりあえず」

この文言によって、私の行動はパターン化されていく。これを最適化と呼ぶのか、それとも不毛と呼ぶのか。難しい話なので私には分からない。

 

 

クッキーを焼きながらそんな事を考えていると、ふと、就活時代に出会った同級生の事を思い出した。

 

彼の名前は知らない。どこの大学生だったかも分からない。ただ、同じ年の新卒予定というだけだ。

 

出会ったのは合同説明会のよく分からんセミナーだった。休憩時間、隣の席になった私に、随分と気さくに話しかけてくれたことを今でも思い出すことができる。

 

初めこそ明るく会話のキャッチボールをしていたものの、徐々にその勢いは失われ、会話のテンションはどんどん下がっていった。

そして、完全に一度会話が途切れ、暫しの沈黙が訪れた時、唐突に彼はこんな話を始めた。

 

「君は、骨折したことってある?」

 

硬直するこちらをよそに、彼は真面目な顔で続けた。

 

「学生時代に骨を折った経験があるかないか。

これってめちゃくちゃ、その後の人生が成功するか否かに大きく関わってくるんだよね。」

 

「若い時の苦労は買ってでも、みたいなことは老害のセリフだと思うけど、骨折だけはしといた方がいいと思うわ」

 

「俺はそう思ってる」

 

「これはガチだよ」

 

「マジで」

 

当時の自分は突然降って湧いた骨折の話に動揺し、「ええ、ああうん、あるよ、骨折、雪でね」と倒置法気味に答えた記憶がある。

そして、そこからお互いに話を広げられずにモゴモゴしたことも。

 

その後、ちょうど休憩時間が終わり、セミナー終了後もお互い何も話さず退場した。

あの骨折の話題が、彼との最後の会話だった。

 

 

今思うとあの骨折の話題は、彼にとっての「とりあえず」の話題だったのかもしれない。

 

「とりあえず」他の就活生と話すことになったら、話題のタネとしてこの骨折の自論を話そう。そこから、会話を広げていこう。

 

そういう予めの備えをしていた可能性は大いにある。賛同されても、否定されても、どちらにせよ会話になる。

それがたまたま、この時は切り出すタイミングがおかしかったがために、なんだか変な風になってしまったのだ。

彼に非は無い。

何なら、上手く返せなかった私に非があるのかも知れない。

それはないか。流石に。

 

とはいえ、就活時代に合同説明会に行ってはAmazonギフト券をかき集め、交通費と合算してギリ赤字になっていた自分と比べれば、そうしたとりあえずの備えをしていた彼は立派と言える。

 

きっと今頃、彼は成功を納めているに違いない。そう信じずにはいられない。

いつか彼がカンブリア宮殿か、ガイアの夜明けに出ることになったら、私はその時初めて、彼の名前を知る事になるのだろう。

それは、なんだか感動的な事な気がしないこともない。

とりあえず、その日が来た時はシャトレーゼでチョコクッキーを買って、ささやかにお祝いしようと思う。

 

 

 

 

良くないので神社に行く あと喫茶店

ここ一週間くらいずっと「良くない」。

ただ、「何が良くないのか」と聞かれると言葉に詰まる。

具体的な悩みは沢山ある。けれど、そのどれもがこの「良くなさ」とそのまま結びつくものでもない気がする。

なので、この己の状態は「良くない」のだ、としか言えないのである。

 

そんな感じでプリプリ日々を過ごしていると、母から少し遠くの神社に行ったという話を聞いた。その名前の知らない神社はちょうど催し物が出ていたそうで、中々の賑わいだったという。

……行ってみようか。なんとなく。

今「良くない」から。

知らない所に行くというのは、なんか良いらしいし。先日に旅行に行った時は、とても良かったし。

よし。行こう。

 

そういうわけで、神社に行ってきた。

 

 

 

 

 

 

土曜日、午前9時。

目は覚めているけれど何も出来ない時間が終わり、のそのそと自室を出て朝食をとる。

出不精な自分は、出かける予定の当日になると途端にめんどくさくなる。このめんどくささは、楽しみにしている予定であっても湧いてくる。そして、その予定が「自発的に組んだ、別に達成しなくても問題のない予定」であるとくれば、その湧き出るめんどくささはもう、それはそれは。もう。

今日はやめよかな……とキッチンで呆然としていた。

 

ところがここで、インターホンが鳴る。

慌てて手櫛で寝癖を直してドアを開けると、自分が最近ハマっているミントタブレットの配達だった。配達のお兄さんから「へっへっ、すんません」と愛想笑いをしながら荷物を受け取り、すぐに家の中にひっこむ。慌てて鏡を見る。後頭部、跳ねている。

ため息が出た。

これも「良くない」の一部だ。…たぶん。

 

しかしながら、一度誰かの目に晒されると、やらんとな…となる。とりあえず身だしなみを整えて、最低限の荷物を持って出発した。

調べてみると、どうやら件の神社は自分がいつも初詣に行く神社から少し走ったところにあるらしい。

そういうことならそちらも参っていこう。そう考えながら、車を走らせた。

 

 

 

初詣に行く方の神社は思っていたより早く着いた。移動時間としては別に昔と変わっていないだろうが、体感としては本当にすぐだった。これが歳をとったということか。

神社に着くと、思っていたよりも参拝客が多くいた。なんでもない土日なので意外だったが、近所の人からすれば散歩コースの一部なのかもしれないし、自分と同じ様に空いていると踏んで来た人も多いのかもしれない。

駐車場に車を停め、真正面の鳥居に立つ。別に意識したわけではないけど、なんとなく立ち止まった。

そして気がつく。

お賽銭のこと、何にも考えてなかった。

慌てて財布を開く。幸い、本殿とお稲荷さんの二度分はありそうだった。あぶない。

 

ひとまず胸を撫で下ろし、境内を進む。おじいさんと家族連れの後ろに並び、すぐ自分の番か来る。

二礼二拍手、一礼。

お詣りの作法がこれであっているのか、毎度不安になる。境内にある神社で働いているの人たちから怒られたりはしていないので、一先ず失礼な事をしている訳ではないとは思うが……

手を合わせ、お詣りを済ませて脇に抜ける。次はお稲荷さんに……

 

と思ったところで、目の前の家族連れが境内奥の林に突撃したのが見えた。

ぎょっとしてその林に近づくと、小さな石畳みの奥に続いている。さらにのぞき込んでみると、奥に社のようなものが見えた。

今まで何年も来ているはずなのに、全く気が付かなかった。いや、なにやら石畳があるのは覚えているが、そこを進んでいく人を見たことがなかったから、全く意識していなかったのだと思う。

 

やや動揺しながらも、足は石畳の方を向く。まさか、行き慣れた神社でこんな発見があるとは。意を決して出かけてよかった。

そして、足を踏み出した。そして、また、気が付いた。

 

お賽銭、ないわ。

そう、あとお賽銭は一度分、お稲荷の分しかない。一応、札ならばあるが、さすがに札は出せない。流石に札は渋ってとて、神様も分かってくれるはずだ。多分。

くるりと反転して脇道を戻る。一先ずお稲荷さんのお詣りを済ませよう。

 

複数並ぶ鳥居をくぐり、お稲荷さんの社に着く。

二礼二拍手、一礼。

再び手を合わせ、お詣りをする。お稲荷さんは本殿よりも木々の茂るところにあるので、それらの擦れる音や木漏れ日が心地いい。

 

お詣りを終え、境内の導線に沿ってぐるりと回りながら考える。近くに自販機でもないだろうか。どうにか小銭を手に入れたい。

一度神社を出て、周囲をうろうろ。確かもう少し離れたところにコンビニがあったから、見つからなければ車でそこまで行く腹積もりだった。

幸いなことに、近くで自販機を発見。何とか小銭を確保した。

 

再び神社へ舞い戻り、先の林へと向かう。

この日は快晴ながら気温はそこまで高くなく、緑の屋根に覆われた石畳の道は随分ひんやりしていた。

おっかなびっくりといった具合に進むと、すぐに社が見えた。横には神社の名前が大きくあって、賽銭箱もあった。

少し緊張しながらお賽銭を入れ、二礼二拍手、一礼。お詣りの際は今まで気が付かなかった謝罪の気持ちも込めた。

 

お詣りを終えて戻ろうとして、ふと石畳を見る。石畳はまだ先へ続いていて、本殿の裏を回り込むように曲がって奥に伸びていた。

一度、ここまでの石畳を見る。それほど距離があるわけでもなく、わざわざ帰路として敷かれているにしては遠回りに思える。

もしやと思い、石畳を進んでその曲がり角をのぞき込む。石畳は小さく続き、そのまま視線でたどれば、今お詣りしたものと同じ規模の社の側面が見えた。

 

申し訳なさを感じながら進み、もう一つの社の前に立つ。

お賽銭を入れて、二礼二拍手、一礼。

今までの何年もの間、この二つの神社をお詣りせずに素通りしていた事実に自然と委縮してしまう。謝罪の気持ちも込めながら手を合わせ、次からはちゃんとここもお詣りするようにしようと思った。

 

石畳はそこからも続き、反対側の本殿の脇から見慣れた境内へと繋がっていた。そのまま駐車場へと歩いて車に戻り、自販機で買った午後ティーを飲む。

想像外の事態で、思ったよりも濃い時間だったが気がする。

 

とはいえ、まだ帰らない。もう一方の神社に向かわなくては。

ナビに神社の名前を入力し、ルートを表示する。調べていた通り、それほど遠くはない。

安心すると同時に、少し違和感を覚えた。

この地図、なんか見覚えがある。

けれど、神社の名前に覚えは無い。…ん? いや、なんか文字で見たら見覚えがある気がしてきた。でも母から見せてもらった写真には見覚えは……。でもあれって催し物がメインに映ってたし、写真もしっかり見てなかったな……

 

……まあ、いいか。とりあえず行こう。そうしよう。

そんな感じで、エンジンをかけた。

 

 

 

10分後。

普通に来た事あるところだった。

道を進めば進むほど、知ってる風景が続くのですぐに核心に変わってしまった。

 

とはいえ、別に初めて行く神社であることは重要ではない。あくまで己の「良くなさ」を解消したくて来たのだ。さあ、お詣りしよう。

 

こちらの神社は先の神社よりもかなり大きい。相対して駐車場もかなりの台数停められそうに見えたが、その大半がすでに埋まっていた。写真を撮っている人も少なからずいて、規模の大きさを感じた。

 

入口の橋を渡って境内に入ると、大きな本殿が見える。近づいてみれば、祈祷をしていたようで、何人かが座っていて、その奥に荘厳な口調で言葉を発する神職の人が見えた。

その人たちの邪魔にならないよう、ひっそりと賽銭を入れ、二礼二拍手、一礼。ついさっきお詣りしたばかりだからか、手を合わせるとなんだか違いを感じる気がした。

先の事があったから、見落としていないかと目を動かしながら、見つけた社に手を合わせる。もし見つけられていなかった社があったらごめんなさいと思いながらお詣りして回った。

 

ここにもお稲荷さんが祀られているようなので、そちらにも向かう。

思えば神社にお稲荷さんが一か所に祀られている理由を知らない。何かしらの歴史背景があるとは思うので、その言った類の本を読んでみるのも面白いかもしれない。

 

お稲荷さんは山道を進んだ先にあった。登山道とも隣接していて、登山用の杖を持った人たちの集団もいた。

前来たときは案内も特になく、この道で大丈夫なのかびくびくしながら進んだのを覚えている。だが今回来てみると、進行ルートに沿ってロープが伸びていて、一目で道が分かるようになっていた。多分、間違えて脇道に行ってしまった人が居たんだと思う。

 

少し進むと連なる鳥居が見え、さらにその先でお稲荷さんが見えた。後ろで他の人がいたので、少しそそくさと二礼二拍手、一礼。より木々が多いからか、神聖さを感じてなんだか身が引き締まる思いだった。

お稲荷さんから離れると、途中に登山道の案内板を見かける。行ってみようかとも思ったが、矢印の指し示す方向がごりごりの山道で、確実に相応な装備で望むべき様相でやめておいた。

以前にTシャツジーパンスニーカーで登山して痛い目を見たことを思い出しながら、家族連れと登山客の脇を通り抜けて駐車場へと向かった。

 

 

 

二社の神社を参拝し終え、車を走らせる。

結果的に言うと、特には変わらなかった。抱えていた「良くなさ」が解消されたわけではなかったし、何かの足掛かりを見つけられたわけでもなかった。今日の外出は、シンプルにお詣りをした以上の事はないのかもしれない。

ただ、不思議と気分は良い。気がする。自然に触れ、マイナスイオンを浴びたことで何かしらの精神状態が上向いたのかもしれない。

……プラシーボかもしれない。

 

ただ、それは別に一つ思い出したことがあった。

それは、過去の参拝を想起するなかで思い起こされた、すっかり頭から抜け落ちていた記憶だった。

茶店である。

ふと、幼いときに何度か行った、小さな喫茶店のことを思い出したのだ。

その店は親戚の一人の家の近くにあって、遊びに行った際によく連れて行ってくれた。サンドイッチがおいしくて、コーヒーを飲むその人と談笑しながら、かぶりついていたのを覚えている。

不思議なのは、別にその親戚とは初詣の思い出は特にないことだ。多分、家族の思い出と紐づいていた故の連鎖的に引っ張り出されたのだと思う。

 

行こう。サンドイッチを食いに。

思い出が頭の中で流れると、もう完全に口がその喫茶店のものになってしまった。こうなってしまっては行くしかない。

「良くなさ」は一先ず置いておく。まずはサンドイッチだ。

いやむしろ、こうして思い出せたことが、お詣りの効果かもしれない。そうに違いない。

行こう。サンドイッチを食いに。

 

 

 

 

 

 

サンドイッチ、なくなっとる。

 

茶店は記憶の通り、ちゃんと営業していた。コロナ禍でまさか……と少し不安ではあったが、大丈夫な様で胸をなで下ろした。

扉をくぐって店内に入ると、覚えのある内装があった。おお、なつかしい。

窓際の席に座り、出されたお冷を口に含みながらメニューを開く。

愕然とした。

メニューのいくつかに、目隠しのように付箋が貼られていた。恐れていた事態が起こっていると察して、慌ててサンドイッチの欄を見る。

貼られている付箋は二枚。隠されていないメニューには、思い出のサンドイッチの名前は無かった。

おそるおそる、貼られた薄ピンクの付箋に目を凝らす。

向こう側に、あの日のサンドイッチが居た。

 

 

「ランチひとつお願いします」

世界は辛く、厳しい。悲しみを顔に出さないように注文しながら、そう思った。

この心情を顔に出さないようにする技術も、日々の人間関係によって培われたものだ。まさに世の中の苦しさを自分自身が体現している気さえした。

 

とはいえ、悲しんでいても仕方がない。サンドイッチが食べられなくとも、他の料理もおいしかった記憶がある。窓から外を見ながら、悲しさを紛らわせた。

思えば、喫茶店に来たのは久しぶりだ。それどころか、一人で喫茶店に来るのは初めてかもしれない。出不精な自分としては友人とならともかく、一人でゆっくりするなら自宅で良いと思ってしまう。それに、長居すると迷惑な気がして、申し訳なさが湧いてくる。

茶店は基本的に、そうした長居する客をとがめることはないとは分かってはいるものの、ネットで見かけるドリンク一杯で粘る客の話を思い出してしまう。どうにも居心地が悪くなる気がして、それならもう家でいいわ、となってしまうわけだ。

 

しかしながら、今回はちょうど数席離れたところで賑やかに談笑している客がいた。静かに寛ぎたい人からすれば困ったものなのだろうが、自分としては「あの人たちよりは静かにしてるし、長居してないしな」というセーフティのように感じられて助かった。

ありがとう。見知らぬ誰か達。

 

あれこれ考えていると、店員さんが近づいてきた。机のお冷とおしぼりを端に寄せ、皿を迎え入れる。

出てきたのはサラダとガーリックトースト。記憶に残る親戚との来店の際、その人はランチを頼んでいて、確かにこんな感じだった気がする。

このあとメイン料理が来るので、ガーリックトーストはやや控えめなサイズ感。反面、サラダは小鉢にしてはやや大きめなボウルだった。

 

まずはサラダを一口。おお、うまい。

千切りキャベツに輪切りのキュウリ、カットトマトが添えられ、そこにシーザードレッシングがかかっている。シンプルなサラダでありながら、だからこそ安心感がある。

自分の舌は肥えていないが、田舎特有のネットワークによって新鮮な野菜を食べれている。その上で、このキャベツはおいしい。ちゃんとキャベツの味がする。

噛むたびのシャキシャキとした歯ごたえが感じられ、時折キュウリのポリッとした触感と塩味が現れる。数枚のキュウリが、ちゃんとサラダの中にいる。

トマトは個人的に苦手な野菜の一つだが、こうしたサラダで出てくるものは比較的食べられる。何かで見かけた気がする「トマト嫌いな人あるある」として、「普通のトマトはきつい、プチトマトは無理、サンドイッチ・サラダはいける、ケチャップは大好き」という話があったが、少なくともトマトが苦手な自分としてはこのあるあるに合致している。

目玉焼きに何かける論争に置いて、いつも自分はケチャップと答えてサンプルから外される。ダメですか?ケチャップ。

 

次にガーリックトーストを齧る。

うま。

YouTubeの揚げ物作る動画で、包丁などで表面を撫でて小気味いい音を鳴らすシーンをよく見るが、このトーストも多分同じ音を出せると思う。

それくらいかりっかりの表面の下に、ふわふわの生地が広がっている。それでいて、全体をガーリックの風味がじんわり、あくまでじんわりの効いていて、それがまた唾液腺を刺激する。染みていると言ったほうが良い。

それほど厚くはないこともあり、一瞬で半分くらい食べてしまい、そこからはもったいなさで少しずつ食べた。

 

二つの皿を空にした時には、もう喫茶店への苦手意識は無くなっていた。

なぜならメシがうまいから。料理に意識が向きすぎて、他の事に意識が向かない。食事による幸福感はあらゆる不安を塗りつぶせるのかもしれない。

 

お冷で口を湿らせながら外を眺めていると、皿を持った店員さんが向かってきた。

慌てて机の皿を寄せてスペースを開け、その皿を迎え入れる。

やって来たのは見事なピザだ。ランチのメインとして据えてあるだけあって、一人前だと分かる大きさでありながら、同時にボリューム感を感じずにはいられないサイズ感。

記憶の中で、確かこのピザを分けてもらった覚えがある。そして、とてもおいしかったことも。

おいしかった記憶が強すぎて、長いこと食べていないのに、友人にピザ食えと店を紹介したこともあった。食べた友人からは、大変好評だったので、この記憶には間違いはないはずだ。

余談だが、友人には件のサンドイッチも勧めてピザと一緒に食べさせた。なのでサンドイッチもその時まではあったはずである。あったはずなのに……

 

気を取り直してピザを手に取り、口に運ぶ。

玉ねぎ。いの一番に来る。玉ねぎ。

ピザの云々には詳しくないが、あまり玉ねぎのイメージは無かった。けれど、火の通って飴色になりからないくらいの玉ねぎは水分をたっぷり抱えていて、生地の上のチーズ、ベーコンの塩気と合わさってジューシーな主役になっている。

そしてこの玉ねぎを引き立てているチーズ、ちょうど良すぎる。適度に溶けていて、それでいて多すぎもせず少なくも無い。下のソースや玉ねぎの水分と混ざり合うことで、「ピザを食べている」という感覚をひたすらに与えてくる。

 

関係ないが、ピザを食べるときによくある、一切れ取るたびに周囲の一切れの具を持って行ってしまったり、逆に持っていかれてしまったり、と言う事が全く無かった。にも関わらず、手に取ると嘘みたいにチーズが伸びて、切れていく。

食べ終わった時には皿がきれいさっぱりで。ちぎれたチーズの破片が残るなんてことは無かった。なんだかお手本のピザみたいだった。

 

あと、やっぱり生地。うまい。

ガーリックトーストの時にも感じたが、なんだかやたらと生地がうまい。思い出補正なのかもしれないと何度も意識を舌に向けたが、乗っている具ではない味、生地の味をしっかり感じる。具の乗っていない耳のところもサクサクなんだけど、なんか水気は無いのにとてもしっとりしてる部分があってやたら美味かった。

 

あっという間に一枚綺麗に平らげて、一息つく。

おいしかったことは覚えていた。だけど、こんなにおいしかったか。

そうして感傷に浸っているところに、コーヒーがやってくる。タイミングがちょうどいい。個人経営で、客足が多すぎたりしないが故のオペレーションの良さなのかもしれない。

テーブルのシュガースティックを手に取ろうとしたが、やっぱりやめてコーヒーフレッシュだけにしておく。昔は砂糖を入れないとまともに飲めなかったが、今では気にせず飲めるようになった。胃が痛くなるのでブラックのままでは厳しいが。

 

口に含めば、コーヒーの良い匂いと苦みが広がる。コーヒーの知識も語彙も無いが、家で飲むインスタントコーヒーより圧倒的にうまい。背もたれに身体を預けて、ゆっくりと呼吸すると、鼻から香りが抜けていく。

素人にしてはコーヒーを楽しめている気がして、なんだかうれしくなった。

 

そのままコーヒーを少しずつ飲みながらぼーっとして、かなりゆっくりできた。この瞬間は、それまであった長居することへの申し訳なさなんかなく、ただただ、ゆっくりしていた。

 

暫くしてコーヒーを飲み終わり、テーブルのレシートを持って席を立つ。長居し続ける申し訳なさではなく、満足したから席を立った。

支払いを終え、ごちそうさまでしたと伝えて店を出る。自分が来たときはそれほど埋まっていなかった駐車場は、ほぼ満車になっていた。店内にいた時は、他の客の出入りに気が付かなかったので、よっぽどリラックス出来ていたらしい。

良い気分で車に乗り込み、そのまま家路についた。

 

 

 

 

この一日は、どうだったんだろう。

「良くない」から出かけた一日として振り返ってみてみれば、「うまいもん食ってうやむやにした」ということになる。そういう意味ではその場しのぎの、誤魔化した一日だと言える。一日うろついて腹を満たして帰ってきただけ、という思いも少しある。

けれど、それでも良い気はする。

うまいものを食べ、それで気分が高ぶるなら、それは幸せなことな気がする。それに、そのうまいものに出会えたのも神社を回ったからであるし、そもそもうまく感じられたのも、色々巡った後だからかもしれない。

 

どうなんだろう。分からない

 

…「良くない」とは別に、「よく分からない」という気持ちが増えた。

問題が増えている。その点についてはより「良くない」と言える。

だが、その「良くなさ」は幾らか重要さが減って、それほど深く考えるものでもないような気がしている。

苦しさとか、そういった部分は薄れ、「ちょっとやだなぁ」くらいになった気がする。

いや、でもそれは「良くない」のか?

「よく分からない」。

 

 

なんだかわからなくなってきた。

こうして文字に起こして考えていると、思考が明瞭になると同時に、考えることが増えて混乱してくる。

でも、こうして考えるのは妙に心地よい。気がする。

なので一先ず、今日のところは「良い日だった」として終わりにしたい。

腹が膨れて、頭を使って、今は気持ちが良いので。

 

というわけで、それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もう一枚ピザが食べたい。

 

掃除をしよう、適応しよう

 

 少し前に親戚から言われた「部屋だけ見たら忙しそう」という言葉が甚く心に突き刺さり、シャゲの格CSのごとく未だに抜けていません。

 

 実際のところ私の自室は、その様相を「産卵」の二文字で形容しても、胸を張って誤字だと言い切れないほどコンテンツがコンテンツを産み、呼び寄せ続けていました。

 掃除のきっかけを与えてくれたことに感謝こそすれ、抗議の言葉を口にする権利は私にはありません。

 

 そういうわけで、部屋の整理に明け暮れております。

 せっかくですから今回は、部屋を片付ける際のポイントをご紹介しましょう。

 

 

 まず一つ、飯を食いましょう。

 これはいる、これはいらないと分けるのにはエネルギーを使います。まず食事をとり、途中でエネルギー切れを起こさないようにするのです。

 

 本来こうした部屋の整理においては、それぞれの物に対して細かい感情を向けるべきではないとよく言われます。思考の余地を作らず、ひたすら「今いるものか否か」にフォーカスを当て、大剣を振るうかの如くバッサバッサと割り切っていくべきだ、と。

 しかしながら、そんな判断を出来る人はそもそも部屋が散らからないのです。物を捨てられないから、処分出来ないから、こうなっているのです。助けてください。

 

 そんな命ですから、とにかく飯を食い、これから立ち向かう苦難へと備えるのです。栄養の観点に明るくないので滅多なことは言えませんが、とにかく白米を詰め込むのが良い気がしています。

 

 

 二つ目、物を床にぶちまけましょう。

 私のような汚部屋適正の高い人間は日々の環境に適応した結果、部屋の汚さに対するハードルが異様に低くなっています。故に、掃除を始めて数分後「休憩でもしようかしら」とコーヒーでも口にして一息つき、改めて作業途中の部屋を見て思うのです。

 

「案外綺麗になってんな」

 

 この瞬間、もう掃除は終わります。

 もうその日の内は散らかった部屋に手を付けることはありません。残ったアイテム達を適当に部屋の隅に追いやり、スマホを弄り出すのに数秒もかからないことは、この場にダービー兄が居たとしても躊躇いなく賭けられます。

 たとえ幾ばくかの日を経て再び掃除に向かったとしても、根本的な性根と対策が改善されていない以上、物の山をいそいそと動かして終わるでしょう。

 

 ではこの現象に対し、どうすれば良いのか。

 とにかく物を床にぶちまけるのです。

 

 机の上から棚の中身まで、全部床に落とします。こうして生活空間を侵食することで、途中で起こる「もういいかな……?」という楽になりたい気持ちを「いや流石に足の踏み場無いのはな……」という自制心で相殺することが出来ます。

 また、床に落としてしまうことで、真に大切なものを見つけ出すことも出来ます。慌ててその大切なものを拾い上げ、「うっわ最悪や……」と落とした行為への後悔を呟きながら着いた埃を払うのです。

 その結果、自分が本当に汚したくない、大切にしたいものを掬い取り、どうでも良いものをはっきり並べ立てることが出来るのです。

 

 注意点があるとすれば、床に物が散らばった状態に瞬時に適応してしまった場合、シンプルに部屋の悪化を加速させるだけになってしまうことです。

 私も何度か適応してしまい、床がレゴランドのつかみ取りみたいな状態で夜を明かしたことが覚えているだけでも二度あります。

 皆さんはぜひ、お気をつけください。

 

 

 さて、今回の整理整頓を経て、かなりの量の物を手放しました。

 

 揃えるだけ揃えて一度も遊ばなかったMTGのデッキやボドゲの拡張セット。

 特別心に響いたわけではないけれど、一応読み終えたからと手元に置いている本や漫画、雑誌類。

 広告や見栄に後押しされて買ったアパレル品や便利グッズ。

 壊れてしまったものの、高額だったり思い入れがあったりで捨てられなかったアイテムたち。

 果てにはなぜか捨てられずに生き残っていたシンプルなゴミまで。

 

 買取に出したり、親戚や友人に譲ったり、そのまま処分したり。少しずつ時間を掛け、何とか自分の部屋から旅立たせていきました。

 

 内容物を吐き出した部屋はきれいさっぱりとしていて、爽快感があります。そして、ゆとりのある空間は、どこか物悲しさ感じさせました。

 高校辺りから集めていた諸々を手放したので、人生の何割かを彩って来た部分を失ったことになります。今でも無意識に処分した物を探そうとして「ああ、もう無いや」と苦笑いすることも時々あります。

 

 ですが、こうして部屋を整理整頓してよかったと思っています。やはり綺麗に整った部屋は気分の良いものですし、物を探す際にすぐに見つけられるのでストレスも少ない気がします。

 このきっかけを作ってくれた親戚には、やはり感謝するべきでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやでも拡張とかMTGとか手放したのミスったな。いつ再販再録されるか分からんしな。後から要るってなったとき、アホみたいな値段だったら絶対後悔するよ。今後の人生これがちらつくって考えるストレスってやばくないか? やばいわ。

 これ反射的に掃除始めたおれの責任なんだよな。そうだよな。いやだわ、本当に。なんならもうすでに買い戻したい。帰らせてほしい。おれに。

 

 

 

 かの葛飾北斎は93回の引っ越しをしたことが有名ですが、その理由の一つに「部屋が散らかったから」というものがあるそうです。

 今なお日本のみならず世界からも高い評価を受ける北斎ですが、どうやら汚部屋への適応力に関しては私たちに分があるようです。

 

 周囲から部屋が汚いと言われている皆さん。掃除をしろと言われている皆さん。

 この「北斎より適応力がある」という大剣を授けます。

 どうしても掃除する気が起きない時、掃除したくない時は、どうかこの刃で、小言を口にする敵と戦ってください。掃除は、もっと考えてやってください。あなたたちは無計画に、他者の言葉を飲み込むペリカンになってはいけないのです。

 

 皆さんの勝鬨が聞こえるのを待っています。

 

 それでは。

 

 

 

 

 

日用品には金を掛けた方がいいのかもしれない

 はてなブログを書かなくなってから9か月とちょっとが経ちました。

 別に何か深刻な事情があったという訳でもなく、シンプルに面倒に感じてしまったが故の放置でした。

 

 ではなぜ今になって更新しようと思ったかと言いますと、何気なくサイトのページを見てみたら、購読リストに入れていた各ブログ達が往々にして更新されているのに気が付いたからです。

 素晴らしい。賞賛の言葉が胸に浮かびました。

 

 人から影響されやすいことに定評のある私は、取り敢えず自分も何かしら書いてみようと思い立ちました。

 特に書くことも思いつかないので、一先ず自分が過去に書いていた記事を読み返してみることにしました。

 今思えば、当時は何かしら生産的だったり、自分の糧となるような事を書こうと躍起になっていた気がします。たぶん、読んでいたビジネス書に影響されたのでしょう。

 

 しかしながら、いざ見てみると以前書いていたのはどこかで見たことのあるような記事で、生産性があるようには見えません。唯一の例外は、友人に協力してもらって書いた無い小説の記事ですね。

 

 今の私に当時のような記事を書く気力は無かったので、取り敢えず当たり障りのない適当な事を書くことにしました。

 適当にやっている私には、それくらいが身の丈に合っているという訳なのだと思います。

 



****

 

 

 

 先日、ピーラーで薬指をやりました。野菜とえっちらおっちら格闘しているところ、左手の指先の肉をすっぱりと。

 ピーラーというやつは、ポケモンの中盤付近に出てくる進化しない奴らくらいのちょうどよさを装っておきながら、実は後から四天王の手持ちの一体だったと判明するような切れ味を有しています。

 切り裂かれた指先は綺麗なもので、あまりの綺麗さからか、痛みを一切感じませんでした。切り口を見てみても、ささくれのXLくらいの抉れ方にしか見えません。

 ですが、瞬く間に血が滲み、止まる気配が無いのを見て、ようやく私は事の重大さを痛感しました。

 

 すぐに料理を中断し、絆創膏で止血を図ります。

 今思えば、ティッシュ等で止血するべきだったのでしょう。ですが、意識が指先へと集中し、脳へ送り込まれる血液が希薄となった人間の判断というのは、常に誤った選択をするものです。

 結果的に、数多くの絆創膏たちが犠牲となりました。

 

 両手が血まみれになり、「お、おれがやったのか……?」みたいなポーズのままオロオロしていると、自室の引き出しからお高めの絆創膏が発掘されました。

 記憶が正しければ、大学時代に変なイキリ方をして購入したものだったと思います。

 普段であれば苦笑いの対象となっていたでしょうが、今となっては渡りに船。持久走の後に蛇口へ殺到するようなテンションで、指先に巻き散らかしました。

 

 するとどうでしょう。待ってましたと言わんばかりに血が止まり、貼り付けた部分が白っぽく膨張し始めます。加えて、傷に押し当たる部分以外が極めてストレッチ性のあるものでしたので、曲げても剥がれる気配がありません。少し捲れ始めた部分をハサミで切って誤魔化す必要はないのです。

 この絆創膏は大学時代に買ったものであり、普通に数年が経過したものであるにも関わらずこの実力。全力を出さずしてこの仕事ぶりは、絆創膏界のモラウと言って差し支えないでしょう。

 

 また、このモラウは海人を自称するだけのことはあるようで、水に対しても高い耐性を見せていました。

 私は沁みることと絆創膏がめくれるのを防ぐため、風呂に入る際はビニール手袋をして、手首を親の仇かというほど輪ゴムで固めていましたが、それを差し引いてもめくれなかったように感じます。

 少し濡れても剥がれることは無く、それどころか粘着面の乾いていた箇所が水を受け、粘着性を取り戻したのかと思うほどがちがちになっていました。この閉じ込める力、監獄ロックというわけですね。

 

 唯一の問題としては、いくらストレッチ性を持つとはいえ、中々に指が動かしずらい点です。

 手を動かす際に薬指を伸ばしていなければならないのはどうにもつらく、歯がゆい思いをしました。

 何度も「どうしてこんなことに」と思いましたが、これが中指でなかっただけ幾らかマシと考えることで、何とか心の安寧を保ちました。

 

 怪我をしてから3日ほど経ち、流石に一度剥がすことにしました。

 貼り続けた絆創膏は、へそのゴマと極めて高い近似値の匂いを発します。慢性的な鼻づまりを有している私ですが、運悪くこの時に限って鼻が通っていたため、その数日は自身の左手に嫌悪の眼差しを向けていたことをよく覚えています。本当に覚えています。

 流石にまだ治ってはいないだろうと踏んでいたので、新しい絆創膏を構えていたのですが、いざめくってみるともうほとんど治っていました。絆創膏を貼った時あるあるだったら真っ先に挙げられる白くなった傷口は、差し詰め風呂でふやけた時の深爪といった印象で、絆創膏は新たに必要ないと胸を張っているようでした。

 

 突然の我が子の成長に困惑しつつ、同時に喜びを感じた私は、構えていた絆創膏を片付け、洗面所で絆創膏から解放された指先をこれでもかと洗い倒しました。指先を心置きなく洗えることの素晴らしさを、私は再認識しました。

 

 

 ここからは余談になるのですが、この大方治癒した薬指が元通りになるまでの間、少しばかり不思議な事が起こりました。

 

 日に日に赤みを帯びた皮が厚くなり、指紋が浮かび上がるにつれて。

 私の左の親指の皮が硬くなってきたのです。

 

 より具体的に言うのであれば、それは親指の先。指先のカーブに沿うように、馬の蹄鉄のようなUの字に硬くなって来ました。例えるなら、バサバサに荒れた唇のような、内側にかさぶたが出来たような感じでしょうか。多分違う気がします。

 

 実のところ、この原因には見当がついています。

 私は格闘ゲームが好きなのですが、そのプレイを普通のコントローラー、いわゆるパッドで行っています。それも、十字キーを指で擦り潰すようなプレイスタイルを得意としているため、左の親指への負荷は計り知れません。

 

 故に親指の皮が厚くなるのは自明の理だと言えるのですが、それまで指先が痛くなることはあっても、硬くなるなどの変化を見せたことはこれまでありませんでした。

 突如として起こった指先の変化に戸惑ってしまい、あまりの動揺に左右の親指を擦り合わせ、モース硬度を測定出来るのかと考えてしまう程です。

 

 そして、その硬くなったタイミングが左手の薬指が治癒している時であること。それが薬指に合わせて突然起こったこと。

 これらを考えると、もしかして人間の指先は、一本が回復に入るとつられるように、他の指も回復し始めるのではないでしょうか。もしもそうであれば、吉良吉影のような自身の指先へ強いこだわりを持つ人間にとって、革新的な新事実かもしれません。

 

 日本人は長いものに巻かれろの精神を持つ人が多い、というのはどこかで聞いたことがある話ですが、こうして同じ掌の指同士であっても長いものに巻かれてしまうのを見るに、どうやらその精神は私たちの指先にすら息づいているようです。

 私たちの最も身近な人間の体というものにすら、こうした不思議があるのですから、世界中に多くの不思議が溢れているのも納得と言えますね。

 

 月刊ムー、先月ちょうど地球の歩き方とコラボ書籍を出したみたいですよ。

 

 それでは。

 

 

  

 

 

卵を電子レンジでいい感じにする方法

 

 

卵の白身は緩く固めて、黄身は半熟のいい感じにできたのでメモ

 

 

手順は以下の通り

 

  1. 卵を深さのある皿に割り入れて電子レンジへ
  2. 600wで20秒加熱
  3. 一度レンジを開き、また閉じて20秒加熱

 

 

卵を入れる皿は円周が大きいほど黄身が緩くなり、

小鉢などの小さなものだと固めになる気がします。

 

レンジを途中で開けるのは、やらないと目玉焼きになってしまうので、

面倒くさいですが忘れずに開けましょう。

 

また、電子レンジの種類やその日の気温によって固まり具合は変わるかと思いますが、

固まり過ぎてしまう場合は二度目の20秒加熱を10秒ずつに分けて加熱、

緩すぎる場合は追加で10秒加熱するといい感じになると思います。

 

 

皆さんの生活にいい感じの卵が必要な時にお試しください。