ここ一週間くらいずっと「良くない」。
ただ、「何が良くないのか」と聞かれると言葉に詰まる。
具体的な悩みは沢山ある。けれど、そのどれもがこの「良くなさ」とそのまま結びつくものでもない気がする。
なので、この己の状態は「良くない」のだ、としか言えないのである。
そんな感じでプリプリ日々を過ごしていると、母から少し遠くの神社に行ったという話を聞いた。その名前の知らない神社はちょうど催し物が出ていたそうで、中々の賑わいだったという。
……行ってみようか。なんとなく。
今「良くない」から。
知らない所に行くというのは、なんか良いらしいし。先日に旅行に行った時は、とても良かったし。
よし。行こう。
そういうわけで、神社に行ってきた。
土曜日、午前9時。
目は覚めているけれど何も出来ない時間が終わり、のそのそと自室を出て朝食をとる。
出不精な自分は、出かける予定の当日になると途端にめんどくさくなる。このめんどくささは、楽しみにしている予定であっても湧いてくる。そして、その予定が「自発的に組んだ、別に達成しなくても問題のない予定」であるとくれば、その湧き出るめんどくささはもう、それはそれは。もう。
今日はやめよかな……とキッチンで呆然としていた。
ところがここで、インターホンが鳴る。
慌てて手櫛で寝癖を直してドアを開けると、自分が最近ハマっているミントタブレットの配達だった。配達のお兄さんから「へっへっ、すんません」と愛想笑いをしながら荷物を受け取り、すぐに家の中にひっこむ。慌てて鏡を見る。後頭部、跳ねている。
ため息が出た。
これも「良くない」の一部だ。…たぶん。
しかしながら、一度誰かの目に晒されると、やらんとな…となる。とりあえず身だしなみを整えて、最低限の荷物を持って出発した。
調べてみると、どうやら件の神社は自分がいつも初詣に行く神社から少し走ったところにあるらしい。
そういうことならそちらも参っていこう。そう考えながら、車を走らせた。
初詣に行く方の神社は思っていたより早く着いた。移動時間としては別に昔と変わっていないだろうが、体感としては本当にすぐだった。これが歳をとったということか。
神社に着くと、思っていたよりも参拝客が多くいた。なんでもない土日なので意外だったが、近所の人からすれば散歩コースの一部なのかもしれないし、自分と同じ様に空いていると踏んで来た人も多いのかもしれない。
駐車場に車を停め、真正面の鳥居に立つ。別に意識したわけではないけど、なんとなく立ち止まった。
そして気がつく。
お賽銭のこと、何にも考えてなかった。
慌てて財布を開く。幸い、本殿とお稲荷さんの二度分はありそうだった。あぶない。
ひとまず胸を撫で下ろし、境内を進む。おじいさんと家族連れの後ろに並び、すぐ自分の番か来る。
二礼二拍手、一礼。
お詣りの作法がこれであっているのか、毎度不安になる。境内にある神社で働いているの人たちから怒られたりはしていないので、一先ず失礼な事をしている訳ではないとは思うが……
手を合わせ、お詣りを済ませて脇に抜ける。次はお稲荷さんに……
と思ったところで、目の前の家族連れが境内奥の林に突撃したのが見えた。
ぎょっとしてその林に近づくと、小さな石畳みの奥に続いている。さらにのぞき込んでみると、奥に社のようなものが見えた。
今まで何年も来ているはずなのに、全く気が付かなかった。いや、なにやら石畳があるのは覚えているが、そこを進んでいく人を見たことがなかったから、全く意識していなかったのだと思う。
やや動揺しながらも、足は石畳の方を向く。まさか、行き慣れた神社でこんな発見があるとは。意を決して出かけてよかった。
そして、足を踏み出した。そして、また、気が付いた。
お賽銭、ないわ。
そう、あとお賽銭は一度分、お稲荷の分しかない。一応、札ならばあるが、さすがに札は出せない。流石に札は渋ってとて、神様も分かってくれるはずだ。多分。
くるりと反転して脇道を戻る。一先ずお稲荷さんのお詣りを済ませよう。
複数並ぶ鳥居をくぐり、お稲荷さんの社に着く。
二礼二拍手、一礼。
再び手を合わせ、お詣りをする。お稲荷さんは本殿よりも木々の茂るところにあるので、それらの擦れる音や木漏れ日が心地いい。
お詣りを終え、境内の導線に沿ってぐるりと回りながら考える。近くに自販機でもないだろうか。どうにか小銭を手に入れたい。
一度神社を出て、周囲をうろうろ。確かもう少し離れたところにコンビニがあったから、見つからなければ車でそこまで行く腹積もりだった。
幸いなことに、近くで自販機を発見。何とか小銭を確保した。
再び神社へ舞い戻り、先の林へと向かう。
この日は快晴ながら気温はそこまで高くなく、緑の屋根に覆われた石畳の道は随分ひんやりしていた。
おっかなびっくりといった具合に進むと、すぐに社が見えた。横には神社の名前が大きくあって、賽銭箱もあった。
少し緊張しながらお賽銭を入れ、二礼二拍手、一礼。お詣りの際は今まで気が付かなかった謝罪の気持ちも込めた。
お詣りを終えて戻ろうとして、ふと石畳を見る。石畳はまだ先へ続いていて、本殿の裏を回り込むように曲がって奥に伸びていた。
一度、ここまでの石畳を見る。それほど距離があるわけでもなく、わざわざ帰路として敷かれているにしては遠回りに思える。
もしやと思い、石畳を進んでその曲がり角をのぞき込む。石畳は小さく続き、そのまま視線でたどれば、今お詣りしたものと同じ規模の社の側面が見えた。
申し訳なさを感じながら進み、もう一つの社の前に立つ。
お賽銭を入れて、二礼二拍手、一礼。
今までの何年もの間、この二つの神社をお詣りせずに素通りしていた事実に自然と委縮してしまう。謝罪の気持ちも込めながら手を合わせ、次からはちゃんとここもお詣りするようにしようと思った。
石畳はそこからも続き、反対側の本殿の脇から見慣れた境内へと繋がっていた。そのまま駐車場へと歩いて車に戻り、自販機で買った午後ティーを飲む。
想像外の事態で、思ったよりも濃い時間だったが気がする。
とはいえ、まだ帰らない。もう一方の神社に向かわなくては。
ナビに神社の名前を入力し、ルートを表示する。調べていた通り、それほど遠くはない。
安心すると同時に、少し違和感を覚えた。
この地図、なんか見覚えがある。
けれど、神社の名前に覚えは無い。…ん? いや、なんか文字で見たら見覚えがある気がしてきた。でも母から見せてもらった写真には見覚えは……。でもあれって催し物がメインに映ってたし、写真もしっかり見てなかったな……
……まあ、いいか。とりあえず行こう。そうしよう。
そんな感じで、エンジンをかけた。
10分後。
普通に来た事あるところだった。
道を進めば進むほど、知ってる風景が続くのですぐに核心に変わってしまった。
とはいえ、別に初めて行く神社であることは重要ではない。あくまで己の「良くなさ」を解消したくて来たのだ。さあ、お詣りしよう。
こちらの神社は先の神社よりもかなり大きい。相対して駐車場もかなりの台数停められそうに見えたが、その大半がすでに埋まっていた。写真を撮っている人も少なからずいて、規模の大きさを感じた。
入口の橋を渡って境内に入ると、大きな本殿が見える。近づいてみれば、祈祷をしていたようで、何人かが座っていて、その奥に荘厳な口調で言葉を発する神職の人が見えた。
その人たちの邪魔にならないよう、ひっそりと賽銭を入れ、二礼二拍手、一礼。ついさっきお詣りしたばかりだからか、手を合わせるとなんだか違いを感じる気がした。
先の事があったから、見落としていないかと目を動かしながら、見つけた社に手を合わせる。もし見つけられていなかった社があったらごめんなさいと思いながらお詣りして回った。
ここにもお稲荷さんが祀られているようなので、そちらにも向かう。
思えば神社にお稲荷さんが一か所に祀られている理由を知らない。何かしらの歴史背景があるとは思うので、その言った類の本を読んでみるのも面白いかもしれない。
お稲荷さんは山道を進んだ先にあった。登山道とも隣接していて、登山用の杖を持った人たちの集団もいた。
前来たときは案内も特になく、この道で大丈夫なのかびくびくしながら進んだのを覚えている。だが今回来てみると、進行ルートに沿ってロープが伸びていて、一目で道が分かるようになっていた。多分、間違えて脇道に行ってしまった人が居たんだと思う。
少し進むと連なる鳥居が見え、さらにその先でお稲荷さんが見えた。後ろで他の人がいたので、少しそそくさと二礼二拍手、一礼。より木々が多いからか、神聖さを感じてなんだか身が引き締まる思いだった。
お稲荷さんから離れると、途中に登山道の案内板を見かける。行ってみようかとも思ったが、矢印の指し示す方向がごりごりの山道で、確実に相応な装備で望むべき様相でやめておいた。
以前にTシャツジーパンスニーカーで登山して痛い目を見たことを思い出しながら、家族連れと登山客の脇を通り抜けて駐車場へと向かった。
二社の神社を参拝し終え、車を走らせる。
結果的に言うと、特には変わらなかった。抱えていた「良くなさ」が解消されたわけではなかったし、何かの足掛かりを見つけられたわけでもなかった。今日の外出は、シンプルにお詣りをした以上の事はないのかもしれない。
ただ、不思議と気分は良い。気がする。自然に触れ、マイナスイオンを浴びたことで何かしらの精神状態が上向いたのかもしれない。
……プラシーボかもしれない。
ただ、それは別に一つ思い出したことがあった。
それは、過去の参拝を想起するなかで思い起こされた、すっかり頭から抜け落ちていた記憶だった。
喫茶店である。
ふと、幼いときに何度か行った、小さな喫茶店のことを思い出したのだ。
その店は親戚の一人の家の近くにあって、遊びに行った際によく連れて行ってくれた。サンドイッチがおいしくて、コーヒーを飲むその人と談笑しながら、かぶりついていたのを覚えている。
不思議なのは、別にその親戚とは初詣の思い出は特にないことだ。多分、家族の思い出と紐づいていた故の連鎖的に引っ張り出されたのだと思う。
行こう。サンドイッチを食いに。
思い出が頭の中で流れると、もう完全に口がその喫茶店のものになってしまった。こうなってしまっては行くしかない。
「良くなさ」は一先ず置いておく。まずはサンドイッチだ。
いやむしろ、こうして思い出せたことが、お詣りの効果かもしれない。そうに違いない。
行こう。サンドイッチを食いに。
サンドイッチ、なくなっとる。
喫茶店は記憶の通り、ちゃんと営業していた。コロナ禍でまさか……と少し不安ではあったが、大丈夫な様で胸をなで下ろした。
扉をくぐって店内に入ると、覚えのある内装があった。おお、なつかしい。
窓際の席に座り、出されたお冷を口に含みながらメニューを開く。
愕然とした。
メニューのいくつかに、目隠しのように付箋が貼られていた。恐れていた事態が起こっていると察して、慌ててサンドイッチの欄を見る。
貼られている付箋は二枚。隠されていないメニューには、思い出のサンドイッチの名前は無かった。
おそるおそる、貼られた薄ピンクの付箋に目を凝らす。
向こう側に、あの日のサンドイッチが居た。
「ランチひとつお願いします」
世界は辛く、厳しい。悲しみを顔に出さないように注文しながら、そう思った。
この心情を顔に出さないようにする技術も、日々の人間関係によって培われたものだ。まさに世の中の苦しさを自分自身が体現している気さえした。
とはいえ、悲しんでいても仕方がない。サンドイッチが食べられなくとも、他の料理もおいしかった記憶がある。窓から外を見ながら、悲しさを紛らわせた。
思えば、喫茶店に来たのは久しぶりだ。それどころか、一人で喫茶店に来るのは初めてかもしれない。出不精な自分としては友人とならともかく、一人でゆっくりするなら自宅で良いと思ってしまう。それに、長居すると迷惑な気がして、申し訳なさが湧いてくる。
喫茶店は基本的に、そうした長居する客をとがめることはないとは分かってはいるものの、ネットで見かけるドリンク一杯で粘る客の話を思い出してしまう。どうにも居心地が悪くなる気がして、それならもう家でいいわ、となってしまうわけだ。
しかしながら、今回はちょうど数席離れたところで賑やかに談笑している客がいた。静かに寛ぎたい人からすれば困ったものなのだろうが、自分としては「あの人たちよりは静かにしてるし、長居してないしな」というセーフティのように感じられて助かった。
ありがとう。見知らぬ誰か達。
あれこれ考えていると、店員さんが近づいてきた。机のお冷とおしぼりを端に寄せ、皿を迎え入れる。
出てきたのはサラダとガーリックトースト。記憶に残る親戚との来店の際、その人はランチを頼んでいて、確かにこんな感じだった気がする。
このあとメイン料理が来るので、ガーリックトーストはやや控えめなサイズ感。反面、サラダは小鉢にしてはやや大きめなボウルだった。
まずはサラダを一口。おお、うまい。
千切りキャベツに輪切りのキュウリ、カットトマトが添えられ、そこにシーザードレッシングがかかっている。シンプルなサラダでありながら、だからこそ安心感がある。
自分の舌は肥えていないが、田舎特有のネットワークによって新鮮な野菜を食べれている。その上で、このキャベツはおいしい。ちゃんとキャベツの味がする。
噛むたびのシャキシャキとした歯ごたえが感じられ、時折キュウリのポリッとした触感と塩味が現れる。数枚のキュウリが、ちゃんとサラダの中にいる。
トマトは個人的に苦手な野菜の一つだが、こうしたサラダで出てくるものは比較的食べられる。何かで見かけた気がする「トマト嫌いな人あるある」として、「普通のトマトはきつい、プチトマトは無理、サンドイッチ・サラダはいける、ケチャップは大好き」という話があったが、少なくともトマトが苦手な自分としてはこのあるあるに合致している。
目玉焼きに何かける論争に置いて、いつも自分はケチャップと答えてサンプルから外される。ダメですか?ケチャップ。
次にガーリックトーストを齧る。
うま。
YouTubeの揚げ物作る動画で、包丁などで表面を撫でて小気味いい音を鳴らすシーンをよく見るが、このトーストも多分同じ音を出せると思う。
それくらいかりっかりの表面の下に、ふわふわの生地が広がっている。それでいて、全体をガーリックの風味がじんわり、あくまでじんわりの効いていて、それがまた唾液腺を刺激する。染みていると言ったほうが良い。
それほど厚くはないこともあり、一瞬で半分くらい食べてしまい、そこからはもったいなさで少しずつ食べた。
二つの皿を空にした時には、もう喫茶店への苦手意識は無くなっていた。
なぜならメシがうまいから。料理に意識が向きすぎて、他の事に意識が向かない。食事による幸福感はあらゆる不安を塗りつぶせるのかもしれない。
お冷で口を湿らせながら外を眺めていると、皿を持った店員さんが向かってきた。
慌てて机の皿を寄せてスペースを開け、その皿を迎え入れる。
やって来たのは見事なピザだ。ランチのメインとして据えてあるだけあって、一人前だと分かる大きさでありながら、同時にボリューム感を感じずにはいられないサイズ感。
記憶の中で、確かこのピザを分けてもらった覚えがある。そして、とてもおいしかったことも。
おいしかった記憶が強すぎて、長いこと食べていないのに、友人にピザ食えと店を紹介したこともあった。食べた友人からは、大変好評だったので、この記憶には間違いはないはずだ。
余談だが、友人には件のサンドイッチも勧めてピザと一緒に食べさせた。なのでサンドイッチもその時まではあったはずである。あったはずなのに……
気を取り直してピザを手に取り、口に運ぶ。
玉ねぎ。いの一番に来る。玉ねぎ。
ピザの云々には詳しくないが、あまり玉ねぎのイメージは無かった。けれど、火の通って飴色になりからないくらいの玉ねぎは水分をたっぷり抱えていて、生地の上のチーズ、ベーコンの塩気と合わさってジューシーな主役になっている。
そしてこの玉ねぎを引き立てているチーズ、ちょうど良すぎる。適度に溶けていて、それでいて多すぎもせず少なくも無い。下のソースや玉ねぎの水分と混ざり合うことで、「ピザを食べている」という感覚をひたすらに与えてくる。
関係ないが、ピザを食べるときによくある、一切れ取るたびに周囲の一切れの具を持って行ってしまったり、逆に持っていかれてしまったり、と言う事が全く無かった。にも関わらず、手に取ると嘘みたいにチーズが伸びて、切れていく。
食べ終わった時には皿がきれいさっぱりで。ちぎれたチーズの破片が残るなんてことは無かった。なんだかお手本のピザみたいだった。
あと、やっぱり生地。うまい。
ガーリックトーストの時にも感じたが、なんだかやたらと生地がうまい。思い出補正なのかもしれないと何度も意識を舌に向けたが、乗っている具ではない味、生地の味をしっかり感じる。具の乗っていない耳のところもサクサクなんだけど、なんか水気は無いのにとてもしっとりしてる部分があってやたら美味かった。
あっという間に一枚綺麗に平らげて、一息つく。
おいしかったことは覚えていた。だけど、こんなにおいしかったか。
そうして感傷に浸っているところに、コーヒーがやってくる。タイミングがちょうどいい。個人経営で、客足が多すぎたりしないが故のオペレーションの良さなのかもしれない。
テーブルのシュガースティックを手に取ろうとしたが、やっぱりやめてコーヒーフレッシュだけにしておく。昔は砂糖を入れないとまともに飲めなかったが、今では気にせず飲めるようになった。胃が痛くなるのでブラックのままでは厳しいが。
口に含めば、コーヒーの良い匂いと苦みが広がる。コーヒーの知識も語彙も無いが、家で飲むインスタントコーヒーより圧倒的にうまい。背もたれに身体を預けて、ゆっくりと呼吸すると、鼻から香りが抜けていく。
素人にしてはコーヒーを楽しめている気がして、なんだかうれしくなった。
そのままコーヒーを少しずつ飲みながらぼーっとして、かなりゆっくりできた。この瞬間は、それまであった長居することへの申し訳なさなんかなく、ただただ、ゆっくりしていた。
暫くしてコーヒーを飲み終わり、テーブルのレシートを持って席を立つ。長居し続ける申し訳なさではなく、満足したから席を立った。
支払いを終え、ごちそうさまでしたと伝えて店を出る。自分が来たときはそれほど埋まっていなかった駐車場は、ほぼ満車になっていた。店内にいた時は、他の客の出入りに気が付かなかったので、よっぽどリラックス出来ていたらしい。
良い気分で車に乗り込み、そのまま家路についた。
この一日は、どうだったんだろう。
「良くない」から出かけた一日として振り返ってみてみれば、「うまいもん食ってうやむやにした」ということになる。そういう意味ではその場しのぎの、誤魔化した一日だと言える。一日うろついて腹を満たして帰ってきただけ、という思いも少しある。
けれど、それでも良い気はする。
うまいものを食べ、それで気分が高ぶるなら、それは幸せなことな気がする。それに、そのうまいものに出会えたのも神社を回ったからであるし、そもそもうまく感じられたのも、色々巡った後だからかもしれない。
どうなんだろう。分からない
…「良くない」とは別に、「よく分からない」という気持ちが増えた。
問題が増えている。その点についてはより「良くない」と言える。
だが、その「良くなさ」は幾らか重要さが減って、それほど深く考えるものでもないような気がしている。
苦しさとか、そういった部分は薄れ、「ちょっとやだなぁ」くらいになった気がする。
いや、でもそれは「良くない」のか?
「よく分からない」。
?
なんだかわからなくなってきた。
こうして文字に起こして考えていると、思考が明瞭になると同時に、考えることが増えて混乱してくる。
でも、こうして考えるのは妙に心地よい。気がする。
なので一先ず、今日のところは「良い日だった」として終わりにしたい。
腹が膨れて、頭を使って、今は気持ちが良いので。
というわけで、それでは。
ああ、もう一枚ピザが食べたい。